「高い所を怖がらない子」は、どこに住んでいても育つのか?晴海・9歳児転落事故から
皆さん、こんにちは。
10月1本目の記事ですね。
日本は一気に寒くなったという話を聞きました。私の住むロサンゼルスは熱波到来中で、暑くて眠れない日が続きます。米国のアパートはクーラーなどがついていないので、扇風機で過ごすことが多いです。しかし、扇風機は娘達との取り合いになっています。早く涼しくなって欲しいものです。
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この記事は、亡くなったお子さんとご家族を責めるためのものではありません。事故の詳しい経緯は捜査中で、わかりかねます。報道されている事実だけをもとに一般的な問いに関して科学的に検証した記事を書いています。
10月3日の午後1時すぎ、東京都中央区晴海の49階建てタワーマンションで、9歳の男の子が23階のベランダから転落し、亡くなりました。
母親が「子どもがベランダづたいに隣の部屋に移動している」と119番した直後の事故だったと報じられています。手すりを越えて隣へ渡ろうとした理由は、まだ分かっていません。
事故の翌日から、SNSではある言葉が再び広がりました。
それは「高所平気症」です。
高層階で育った子どもは高さへの恐怖が育たず、ベランダの外を怖いと感じなくなり、だから高層マンションの子は危ない、という説です。自分も外来で、タワーマンションに住む親御さんから「うちの子、高い所をまったく怖がらないんです。やっぱり住まいのせいでしょうか」と聞かれたことが何度もあります。
本当にそうなのでしょうか。高い所に住むと、子どもは高さが平気になるのか。そもそも子どもは、大人より高さを怖がらないのか。そして、怖がらないなら、親は何で守ればいいのか。この記事では、赤ちゃんの実験から、ドイツの3,500人の調査、日本の32年分の死亡事故の記録まで、調べられる範囲の証拠を並べて、この三つの問いに答えます。答えの一部は、自分の予想とも違っていました。
第1章 子どもの「高所平気症」は本当にあるのか
その言葉は、どこから来たのか
まず前提として、「高所平気症」は医学用語ではありません。小児科の教科書にも、国際的な診断基準にも載っていません。
この言葉を使い始めたのは、1980年代後半に高層住宅と子どもの発達を研究していた日本の研究者で、1985年に民間の研究所が高層階に住む小学生342人に行ったアンケートで、7割以上が「ベランダや窓から下を見ても怖くない」と答えたことが、よく引かれる根拠です#14
しかしここで一度立ち止まって考える必要があります。
まず、このアンケートには、低層階に住む子どもとの比較がありません。「高層階の子の7割が怖くない」と言われても、2階に住む子の何割が怖くないのかが分からなければ、住まいのせいかどうかは判断できません。そして、後で紹介するとおり、子ども一般がどのくらい高さを怖がるのかを調べると、「怖くない」と答える子は高層階に限らず多いのです。
この言葉が人を引きつけるのは、「子どもは高さを怖がるはずなのに、何かが壊れている」という前提があるからです。その前提そのものを、まず調べる必要があります。
赤ちゃんは、そもそも高い所を怖がらない
1960年に発表された「視覚的断崖」という実験があります。
透明なガラス板の下に、片側は浅く、片側は深く見える模様を敷き、はいはいができる赤ちゃんを浅い側に置いて、深い側にいる母親の方へ呼びます。多くの赤ちゃんは、ガラスの上は安全なのに、深い側へ進むのを拒みます。長くこれは「人は生まれつき高さを怖がる」証拠だとされてきました。
ところが、その後の研究が示したのは逆でした。はいはいを始める前の赤ちゃんや、始めたばかりの赤ちゃんは、深い側に下ろされても心拍が上がらず、嫌がりません。高さへの警戒は、自分で動き回る経験を数週間積んだあとに、初めて現れます#3。
決め手になったのは、2013年に米国と日本の研究者が発表した実験です。まだ、はいはいができない赤ちゃんを無作為に二つの群に分け、一方にだけ、自分でレバーを操作して動かせる小さな電動の乗り物に乗る経験をさせました。
すると、乗り物で動いた経験のある赤ちゃんだけが、深い側に下ろされたときに心拍が上がり、高さへの警戒を示したのです。
研究者たちは、自分で動くことで「景色の流れから自分の体の動きを感じ取る力」が育ち、それが高さの警戒を生むと結論づけました#3。同志社大学の研究者たちが行った別の実験では、経験豊かなはいはい児のうち、深い側へ進んでしまう子でも心拍は上がっており、警戒の感情はあるのに行動に出ないだけ、という場合があることも分かっています#4。
つまり、高さへの警戒は、生まれつき備わっているものではありません。自分の体で動く経験が作るものです。そしてこの研究は、「生まれて数年を高層階で過ごしたから高さの感覚が壊れた」という説明とは、最初から噛み合っていません。壊れるも何も、最初から怖くないのです。
子どもは「怖いか」ではなく「できるか」で止まる
では、はいはい児が崖の縁で止まるとき、彼らは何を感じているのでしょうか。
ニューヨーク大学の研究者たちは、長年の実験から「赤ちゃんが崖を避けるのは恐怖ではない」と結論しています#1。赤ちゃんは、自分の体と技能で「この段差を降りられるか」を見積もり、無理なら別の方法を探すだけで、恐怖の表情も、心拍の急上昇も、泣き出すこともほとんど見られません#1。
こういった見積もりは、驚くほどその動作に限って学んでいきます。高さを変えられる段差の装置で調べた実験では、はいはいに慣れた生後12か月の赤ちゃん16人は、危険な高さの段差をはいはいでは渡れませんでした。
ところが、歩き始めたばかりの12か月の赤ちゃん17人は、同じ段差を歩いて何度も踏み外しました。歩きに慣れた18か月児18人は再び踏み外さなくなりましたが、座って降りるなど別の方法を選びました#2。つまり、はいはいで学んだ危ない高さの判断は、歩き始めると一度リセットされるのです。
また研究者達はこう書いています。
「赤ちゃんは「高さが怖い」という一般的な感情を身につけるのではなく、「この体で、この動作なら、ここまでならできる」という見積もりを、動作ごとに学んでいく」
こういった事実は、親にとって大きな意味を持ちます。
子どもがベランダの手すりの前で止まるかどうかを決めるのは、高さへの恐怖ではなく、「登れそうか」という見積もりです。手すりの内側にエアコンの室外機や踏み台があれば、子どもの体は「登れる」と判断します。23階であることで、その判断を止めることはありません。地面までの距離は、子どもの体の見積もりに入っていないからです。
第2章 高さの怖さは、いつ育つのか
高さの恐怖は、10代になって初めて現れる説
では子どもはいつ、大人のように高さを怖がるようになるのでしょうか。
ドイツで3,517人の一般住民を対象に行われた調査では、高い所で足がすくむ、めまいがする、落ちそうな気がするといった「視覚性高所不耐症」を一生のうちに経験する人は28%で、女性は32%でした。
ここで重要なのは最初に起きた年齢です。最も多かったのは10代で、全体の30%がこの時期に初めて経験していました#5。はしごや塔に登ることが最初のきっかけになる人が多く、一度始まると他の高さにも広がり、長く続きます#5。
一方で、8歳から10歳の子どもを対象にした調査では、34%が高い所での不快感を経験していました。これは大人の28%より高い数字です。ただし子どもの場合、数年のうちに自然に消えることが多く、大人のように一生続くことはまれでした#6。
ここで大切なポイントがあります。
子どもにも「高い所に立つと体がこわばる、気持ち悪くなる」という反応はあります。しかしそれは、バランスを保つための体の反応で、「ここから落ちたら死ぬ」という理解とは別のものです。危険の理解として定着し、行動を抑える力として働く高さの恐怖は、多くの人で10代以降に育つという説です。9歳は、まだその手前にいます。(注意:この説はまだ議論を呼んでいます。あくまで一つの説として提示しました)
怖い人ほど、高く見える
高さの「見え方」そのものも、恐怖と結びついています。
2009年に発表された実験では、大人に建物の上から下までの距離や、下から上までの距離を見積もらせました。人は垂直の距離を大きく見誤り、特に上から見下ろしたときに実際より高く見積もりました。そしてこの「高く見える」度合いは、その人の高さへの恐怖の強さと相関していました。つまり、怖い人ほど下が遠く見えるのです#7。
この結果は逆を返すと、高さの恐怖がまだ育っていない子どもには、同じベランダの下が、親の目に映るほど遠くには見えていない可能性があります。親が「あんなに高いのに、なぜ怖くないの」と感じるのは、親と子で見えている高さが違うからかもしれません。
もう一つ、ドイツの研究グループが示した事実があります。
高い所で起きる体のこわばりは地上およそ20メートルで、不安はおよそ40メートルで頭打ちになります。それ以上高くなっても、体の警戒は増えません#6。40メートルはおおよそ13階です。つまり人間の体にとって、23階と13階の違いは、警報としては存在しません。「高層だから特別に怖い」も「高層に慣れたから怖くない」も、体の仕組みの上では成り立ちにくいのです。
6歳は自分の力を過大に見積もり、9歳は興奮で決める説
高さを怖がらないことに加えて、学童期の子どもには、もう一つの傾向があります。それは、自分の体の能力を実際より高く見積もることです。
アイオワ大学の研究者たちは、2歳9か月と3歳10か月の時点で気質を調べた子どもたちを、6歳4か月まで追いました。6歳の時点で、手の届く高さや跨げる幅などを自分で予想させてから実際にやらせると、幼い頃に外向的で、自分を抑える力が弱かった子どもほど、自分の能力を過大に見積もり、実際にけがの経験も多くなっていました。逆に、慎重で抑制的な子は能力を低めに見積もっていました#8。
カナダの研究では、小学生に高さの違う平均台を見せ、「どの高さまでなら渡るか」を選ばせました。渡る直前に、危険だと思うか、落ちたらどのくらいけがをすると思うか、怖いか、わくわくするかを尋ねたところ、子どもがどの高さまで渡るかを予測したのは、危険の見積もりと、恐怖と、そして「わくわく」でした#9。危険だと分かっていても、興奮が勝てば子どもは渡ります。
9歳の男の子が隣のベランダへ渡ろうとしたとき、頭の中で何が起きていたかは分かりません。ただ高さの恐怖はまだ育っておらず、自分の体の能力は高く見積もりがちで、危ないと分かっていても面白そうなら体が先に動いている事は研究が示しています。これはタワーマンションの子に限った話ではなく、6歳から10歳の子どもの、ごく普通の姿です。
では、怖がらない子どもを、親は何で守ればいいのでしょうか。第3章では、日本で32年間に起きた134件の死亡事故の記録と、米国の20年の統計、東京都が子ども21人で行ったよじ登り実験から、事故がどの階で、どんな状況で起きているかを見ます。
重要なのは、そこから出てくる答えは「高層階に住まないこと」ではないのです。
第3章 事故はどこで起きているか
日本の134件が教える、三つの事実
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