優生思想とまでは言えない思想と新生児医療〜映画「月」〜
突然ですが、皆さんは障害者のことをどう思いますか?
「障害者の支援は必要だ」
「障害者と一緒に暮らせる世の中、つまり共生社会であるべきだ」
これらのご意見はよく聞かれるものです。
今回は「優生思想とまで言えない思想と新生児医療」と言う大変重いテーマを書きますが、これを書く前に私の基本的スタンスを明示したいと思います。
私は新生児科医として普段仕事で医療的ケア児の診療を行っています。また、御家族や子供達の権利を少しでも世間に訴えてサポートしたい気持ちで溢れています。
障害者を社会から排除する優生思想はもっての外です。賛同できません。
ここははっきり明示しておきたいと思います。
私はある時、会話する事のできるある脳性麻痺の方にこう言われました。
「先生、私たちのことを記事にする時、障害者と書かずに障がい者と書いてますよね。
それはこちら側から見ると、偽善ですよ。
だって、障という漢字だって「間にあって邪魔になる」という意味なんですから。
じゃあ「しょうがい者」だったらいいのかと言うと、逆に浅い印象しかない。
結局、問題はそんな所にないんですよ。本質じゃない」
こう言われて自分の浅はかさを恥じる思いをしたのと、業界自体も一周回って最近は障害者と表記している有識者が増えてきたので、本題に入る前にこちらで統一したいと思います。
衝撃の問題作・映画「月」
周りの新生児医療者の間でもいま話題になっている映画があります。
それは、先月10/13に公開された映画「月」です。
宮沢りえさん主演で、障害児福祉と優生思想に迫る衝撃の問題作とされています。
これは、2016年に神奈川県相模原市で起きた「相模原障害者施設殺傷事件」にインスパイアされた映画です。この事件は神奈川県立の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の元職員であった植松 聖(うえまつ さとし、事件当時26歳)が、同施設に刃物を所持して侵入し入所者19人を刺殺、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた事件です。
植松死刑囚は、入所者1人1人に声をかけ返答がない人は「人ではない」として次々殺傷しました。
犯人が元職員であること、犯行動機に明確な優生思想を貫いていたこと、知的障害者施設のセキュリティなど2016年当時は連日メディアを賑わせていました。
詳細は以下のwikipediaからお願いします。
なぜこの映画のタイトルが「月」なのかと鑑賞しながら考えていましたが、作品の演出で、月が様々な目的でこの映画の本幹を描写するのに使われている事がわかりました。
例えば、作中に出てくる施設は森の中にあり、障害者施設の明るい部分を描く時は日中で太陽の光を用いて、影の部分を描写する際には夜の暗闇を使っていました。施設や障害者や差別感情などの人間の闇のような部分を強調する際に、月の光が使われていました。
映画「月」より
また、寝たきりの知的障害者に視覚があると信じていた犯行前の犯人が、在職中に優しさで、月の切り絵を壁に貼るシーンがありました。障害者と支援者の間の希望という描写で月を使っていました。実際に犯人がその障害者を殺害するシーンでは、血のりでその月が剥がれるという演出もありました。
そういった意味では、この作品の中で「月」は大変意味のある物でした。
新生児医療での価値観との対峙
では、この映画「月」を観た率直な感想を書いていきます。
最初はエンタメとして見てましたが、途中から完全にいち新生児科医として見ていました。