その子の声は、誰が聴くのか。暴力事件報道から子どもの権利の現状を考える
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私は小児科医の中でも専門は新生児、つまり赤ちゃんなのですが、決して赤ちゃんだけを診ているのではありません。
発達外来と言って、赤ちゃんで生まれた子どもたちが大きくなって小学校や中学校まで発達をフォローする外来で、多くの子どもたちや御家族を診ていきます。赤ちゃんが産まれた時は気持ちがバラバラだったお母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんが、成長していく子どもと一緒に過ごす事で、「一つの家族になっていく」過程を見るのは他の仕事ではなかなか目にする事ができないほど貴重な事です。
NICUの面談室で、とあるおばあちゃんに「あなたは障害児を見過ぎているから何もわからない」と怒られた事もありました。しかし、その赤ちゃんと家で一緒に過ごしてこのおばあちゃんも愛情が芽生えたそうで、数年後外来で謝られた事もありました。
こういったように長い発達外来の中では、いろんな事を経験します。
その中で一番印象的なのは、NICUでは自分の意見を言えなかった赤ちゃん達が成長していき外来で自分の気持ちを言えるようになってくる事です。子どもが「自分の気持ちを言っていいんだ」と気づいた瞬間に立ち会います。
子どもは、聴いてもらえると分かって初めて話します。
逆を返せば聴く人がいなければ、子どもの声はそもそも生まれてきません。これは外来の小さな診察室だけの話ではなく、社会全体が子どもの声を聴く耳をどれだけ用意できているか。
今回お話ししたいのは、まさにそのことです。
今月プロ野球・読売ジャイアンツの監督が、自宅で高校生の長女に暴力を振るった疑いで暴行容疑により現行犯逮捕され、のちに監督辞任を表明する、という出来事が大きく報じられました。
報道によれば、長女自身がchatGPTにアドバイスされ児童相談所に相談し、それが警察への通報につながったとされています。この一件をめぐっては、暴力そのものよりも娘が児相に相談したことを批判する声や情報が漏れたことがSNSで上がるなど、大きな議論が起こりました。
私がこの出来事から考えたいのは、この家族の是非ではありません。
報じられた事実の中に、日本の子ども支援に空いている大きな穴、「子どもの声を、その子の側に立って聴き、代弁する仕組み」の不在がくっきりと映し出されていると感じたからです。今回は、その仕組み、すなわち「子どもアドボカシー」と、日本版チャイルドアドボカシーの必要性について、できる限りエビデンスに基づいて考えてみます。
家庭の中の暴力を、私たちはどう見るか
報道がすくい取れなかった、もう一人の当事者
今回の報道で、私がもっとも引っかかったのは、ある一文でした。
長女が会見で代読された手紙の中で、「どうしたらいいかといった私自身の意向が聞かれることはなく、警察に通報されるという形になってしまった」「警察が来て一番驚いているのは自分自身です」と語った、という部分です。
ここには、二つの大切なことがあります。
1つは、家庭内の暴力に対して児童相談所と警察が動いたこと自体は、子どもの安全を守るうえで重要な一歩だったということ。
もう1つは、それでもなお当事者である彼女自身が自分の意向を聴かれたという実感を持てなかったということです。
つまり、子どもは守られたかもしれないけれど、聴かれたとは感じていなかった。この二つは似ているようで、まったく別のことなのです。守ることと聴くことは、車の両輪です。片方だけが回っても、子どもの納得は置き去りにされてしまいます。
とはいえ、今は子どもの安全が最優先という社会の仕組みになってますから仕方のない事です。
一方、報道全体を見渡すと、語られているのは多くの場合は親の視点でした。
親の謝罪、親の進退、親の今後。
そして世間の関心も、ともすれば子どもが相談したことの是非へと流れていきました。
しかし、この出来事の中心にいるのは、暴力を受けたとされる子ども本人です。その子が何を感じ、何を望み、これからどう生きていきたいのか。
報道という大きな声の中で、いちばん小さく、けれどいちばん大事な声が、すくい取られないまま流れていったように見えたのです。声を上げた子どもがかえって責められるという構図は、次にSOSを出そうとする子どもの口を重くしてしまうかもしれません。
「しつけ」と「暴力」、エビデンスが示すこと
家庭内のことだ、あれくらいはしつけの範囲だ、という声は、今回に限らず根強くあります。実際に虐待事件でも「あれはしつけのつもりだった」という言葉は加害者がよく言う言葉です。ここはエビデンスに基づいて、はっきりさせておきたいところです。
体罰については、近年とても強い研究があります。
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